アート思考とは
ビジネス・イノベーションに向けて
「右脳を刺激するにはアートが必要だ」「これからはクライアントワークではなくアートワークだ」「デザイン·シンキングの次はアート·シンキングだ」「0から1を生み出すアートの発想が必要」――。「アートとビジネス」や「アート思考」について、ビジネスパーソンの関心が高まっている。
VUCA と呼ばれる不安定(Volatility)、不確定(Uncertainty)、複雑(Complexity)、暖味(Ambiguity)な時代に直面するビジネスの世界では、論理や理性だけでなく、アートを通じて得た新たな視点や経験を、経営やビジネスに生かそうとする機運が高まっているためだ。
東京のビジネス街にある書店では、美術鑑賞で感性磨きを推奨する本、基本的教養として美術史を説いた本などがずらりと並ぶ。
2019年、東京国立近代美術館(東京・竹橋)が初の試みとして、ビジネスパーソン向けに特別な鑑賞セミナーを企画したが、約3時間のプログラムで受講料は2万円(観覧料やテキスト代、消費税込み)と決して安くはないが、一日も経たないうちに申し込みが定員30人に達したという。
将来に不安を感じる日本のビジネスパーソンにとって、アートには日本企業が歩むべき道を示してくれる、神秘的で特別な力が宿ると映るのかもしれないと考えている。
問い力が求められる時代に
「正解でなく問いが必要」--。良品計画の金井政明代表取締役会長の主張だ。金井会長によれば、問いが設定されれば、AI(人工知能)で同じ答えが出る時代がすぐにやってくる。課題解決よりも問題設定こそがビジネスパーソンに求められる力となるという。「経営における『アート』と『サイエンス』」(光文社新書)の著者で、コーン・フェリー・ヘイグループのシニア・クライアント・パートナーである山口周氏によれば、「イノベーションは問題がないと生まれない」とする。
アートの視点を産業に導入することで新しい価値軸を作る“Art Interaction”の研究をしている神谷泰史氏は「アートには社会の動きを敏感に察知し、先んじて作品という形で世の中に問題を投げかける機能があり、この問題提起の視点がビジネス創出において従来とは異なる軸の価値を生み出すアプローチになりえるのではないかという期待からアートが注目されており, 特にデザイン思考と対比する形で問題提起のための思考法としてアート·シンキングという概念が同時多発的に提案されているのではないか」と分析する。
京形芸術大学の後藤繁雄教授は「デザインは “解”であり 、アートは“問”である」と表現したうえで、アート思考では「問うこと」に重点を置かれでいるため、企業のビジョンを構想するプロセスなどに、同思考法が取り入れられるようになったと見る。
ビジネスは、「問題の発見」と「問題の解決」という組み合わせで成り立っている。今後のビジネスのカギは、「問題」をいかにして発見して提起するかということなのである。アートを通じて、問題を発見する力を磨くことが求められているゆえんである。
2008年のリーマン・ショック以降、日本企業の収益性は向上し、2017年度には過去最高を記録した。企業は稼いだをため込み、いわゆる内部留保(利益剰余金)は2018年度に過去最大の463兆1308億円となった。日本企業はお金をため込むばかりなのも、問題を発見することができず、お金の使いようがないのが一因ともいえるだろう。
経営で求められ始めた「美意識」
2010年代に入って、地球温暖や所得格差など、地球や社会が抱える問題に企業がどのよう対応するべきかを模索するようになってきた。同時に従来の資本主義を超克した新たな資本主義のあり方が議論され始めた。この新たな資本主義においては、論理的・理性的な思考に偏った経営は成り立たず、経営における「美意識」が必要になるとの見方が広がっている。毎年、スイスのダボスで開かれる「世界経済フォーラム」に出席している慶応義塾大学の竹中平蔵名誉教授によれば、ダボス会議ではアートイベントが必ず併催されることが示すように、「世界のトップ経営者にとってアートは身近な存在になりつつある」という。
山口氏は「美意識とは,経営における真・善・美を判断するための認識のモードであり、美意識を鍛える方法として、アートをみて感じたままを言葉にしたりするなど、アートを鑑賞し解釈することが必要」とも強調する。
真善美とは、ギリシャから始まるヨーロッパ哲学において形作られてきた概念である。認識上の真理と、倫理上の善、そして、審美上の美という人間の精神が究極的に求める普遍的な価値のあり方を示す三つの概念であるが、近年、経営の立場で「真・善・美」が問われることが増えてきている。国連が提唱する「持続可能な開発目標」 (SDGs: Sustainable Development Goals)を経営の中で実践するケースなどが好例だろう。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことなどを謳っている。
企業の株主利益を重視したこれまでの経営指標を追求するだけでは、SDGsの理念からそれてしまうことが多々あることになってしまう。そこで「真・善・美」という価値基準が見直されるに至ったのだ。
参考資料・文献
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金井政明・良品計画会長(2019年8月)『WASEDA NEOにおけるイベント「世界ブランドをつくる、デザイン哲学のDNA」おける発言』
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山口周(2018)「経営における『アート』と『サイエンス』」光文社新書
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神谷泰史(2017)『アートの視点を取り入れた価値創出の可能性─ヤマハ(株)の新規事業開発の取組み事例から─』デジタルプラクティス Vol.8 No.4
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後藤繁雄(2018)『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』光村推古書院
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竹中平蔵(2020年1月)『六本木アートカレッジ2019「役に立つ」から「意味がある」へセミナー#3~ビジネスも人生も問い直す!意味という価値を与えてくれるアートの社会的意義を考える~山口周との対談での発言」